みやびの想い(仮)

思ったことを素直に。

強がっていたんだろうか

今日も微熱が下がらない。

午前中、買い物に連れて行ってもらった後、30分ほど昼寝して少し楽になったような気がしていたが、やはり夜になると熱が上がってきている気がする。

今はたぶん37度2分はあるだろう。

相変わらず困るほどではない下腹の痛みと腰の痛みと、足の付け根の痛みというか圧迫感。

今日も自分の病状は腹膜炎なのか、子宮の疾患なのか、いろいろ調べてまた具合がイマイチになる、という状態だった。

すぐに手元で調べられてしまうスマホも善しあしだな。

 

樹木希林さんの訃報にふれて、ものすごく昨日からショックだ。

映画を見ない私にとって俳優としての樹木希林さんはわからない。

でも、死に対する思いとか彼女の全ての考え方が好きだった。

いつだか、「いつになったら死ねるんだろう」とおっしゃっていた。

そんなふうに思えるなんて・・私にはまだよくわからない。

 

今の私は病気が怖くてたまらない。

病気というより治療するのが怖い。

痛みには自称強い方だが、先の見えない治療ほど苦痛なものはない。

病気になって見えることがある、見えたことがある、

樹木希林さんはおっしゃっていたが、そんなの知らなくてもいい、と思ってしまう。

現に、私も合併症で苦しんだ。

あの時に生きていること、生かされていること、多くの人に支えられていること、そんなことの尊さを実感したのだった。

でも、元気だったら知らないですむこと。

そっちの方がいいじゃん、と今は思ったりもする。

 

父は悪性リンパ腫で亡くなった。

抗がん剤の辛い治療のときも、一切の泣き言を言わなかった。

いつも父は強がっているようなところがあった。

私が高熱を出しているときも「こんなん、熱があるうちに入らん!学校に行け」と言って熱を測らせてもらえずに登校したものの、どうにもしんどくて保健室に行ったら39度以上の熱があり、即早退させられて帰りに内科に行ったらインフルエンザだった。

豪快な人に見えていた。

「たいしたことない」

これが口癖だった。

いつもいつも言っていた。

強い人だな、とずっと思っていて、私は割と父に似ていて「大丈夫、たいしたことない」ってほとんどのことに対して言ってきた。

人に対しても自分に対しても。

だけど、父は相当強がっていたんだろうな、と今になって思う。

本当は弱い人だったんだろう。

実はかなり繊細な人だったのだろうと思う。

今、生前の病気を患っている父が乗り移ったような気持ちになっている。

私の場合、何も宣告すらされていないのに。

情けない。

あれこれ情報に振り回されて勝手に不安になっているだけ。

もう少しあの元気な時の豪快な父に似ていたい。

「大丈夫、たいしたことない」そう言ってくれている気がするから、信じたい。

 

病は気から。

 

おやすみなさい