みやびの想い(仮)

思ったことを素直に。

あの日から10年

震災から10年。

テレビ番組はそればかりだ。

それが悪いとか嫌とかではなく、明日からは一気に何も言わなくなり、また人々は忘れていく、そんな気配が嫌だ。

 

私は関東在住で、10年前も同じく関東に住んでいた。

だが、私は東日本大震災を知らない。

私は10年前の今日は関東にはいなかった。

西日本にある実家にいたのだ。

ちょうど前日の10日に帰省していた。

11日は親(悪性リンパ腫が判明して2ヶ月だった)の病状説明があるため、家族と実家の近くにある大学病院に行かなければならなかったのだ。

11日に帰省していたら新幹線に缶詰めだったかもしれない。

9日まで単発の仕事をしていたので、私は震災の被害には全く遭わなかった。

9日も揺れた。

24階で単発の仕事をしていたが、その日もかなり揺れてちょっと酔って気分が悪くなりかけていた。

それよりももっともっと長く大きな揺れだったのだろう。

私には想像するしかできない。

実家にいた私は思いつく限りの東北出身の友人に連絡をとった。

15時台くらいだと普通にメールもできていた気がする。

そこから都内の友人や元同僚に連絡を取ろうとしたがもうつながらなかった。

夫とも電話は通じなかったが、ひたすら信じてはいた。

テレビの映像を見るのが怖かった。

親はすぐに車にガソリンを入れ、灯油を満タンにするべくスタンドに向かった。

トイレットペーパーなどもひたすら買った。

そういうところだけは長けているのだな、と思った。

そこは揺れていなくてもそれなりの対策というか対応は必要なのかもしれない。

そう感じた。

 

今日も相変わらず仕事だった。

政府から言われているから、14時46分に黙祷しましょう、と長からメールが来ていた。

だが、その時間に声かけがある訳でもなく、周りはそんな事をしているそぶりは全くなかった。

そういうのが私には堪らなく悲しい。

私は一人、東日本大震災で被害に遭われた方々に想いを馳せた。

そんな中でも東北地方から電話はかかってくるし、ああ、向こうの人も仕事をしているのだな、どんな想いなのだろうと辛くなった。

 

今日で節目とかそういう気持ちはない。

いつも絶えず心のどこかにある。

東北はじめ各地で地震や水害などの災害に遭われた方々への想い。

こうして日常を送れることのありがたさ。

いつ来るかわからない、今来てもおかしくない大地震に対する不安と恐怖。

逃げている自分だけではダメだと思いつつ、なかなか行動に移せていない。

行動を改めるきっかけだけで終わらせないようにしよう。

 

今日も遅くなってしまった。

寝ます、おやすみなさい。