みやびの想い(仮)

思ったことを素直に。

不安なGW(かつての合併症発症の思い出~1)

この時期になると、そわそわすることがある。

 

私は数年前の4月末ごろに入院した。

二度目の子宮筋腫核出手術のためだ。

幸い夫が入院に付き添ってくれて、重い荷物も持たずにすんだ。

 

そして入院してたしか二日後が手術だった。気がする。

GWに入っていた。

まわりの人を見舞う人は多く、私は一人術後の痛みに耐えていた。

腹が痛くて痛くてたまらないのに、病室で外から持ってきた匂いが強烈な弁当を食べる見舞いの人が何人もいた。

ほとんどがガン患者だったこともあり、ルール違反でも耐えるしかなかった。

そして、忘れもしない5月6日に合併症を発症したのだ。

 

その日は夫が見舞いに来てくれて、あと数日で退院できるから、と話したばかりだった。

看護師さんに洗髪もしてもらい、「じゃあ、また退院のときに」というような会話をして別れたその夜だった。

 

歩くのもやっとな体で、夜中にトイレから出られなくなっていた。

とても気持ち悪かった。

その日、昼に食べたものがお腹の中で動いていないな、という気はしていた。

夜も普通に食事をした気がするのだが、その後の記憶はトイレの記憶しかない。

 

次の記憶は明るくなってから、医者や看護師が7~8人ベッドの周りに集まっているシーンだ。

鼻から管を入れられた。

以前、鼻から胃カメラを飲んだ時にとても嫌な想いをしたので(鼻からだと問題ない人がほとんどなのに、私は辛くて、看護師さんに「おかしい」と言われた)鼻から管を入れるなんてとんでもないことだと思った。

なので私は管を持った医師に「鼻から管を入れるのだけは勘弁してください」と無茶な拒否をした。

だけど、それは受け入れられず、結局鼻から60センチの管を入れられた。

そして、夫が呼ばれた。

夫は仕事をしていたので到着までに3時間ほどかかる、と医者に答えたそうだ。

それではまずい、時間がかかりすぎる、と思ったのだろう、医者が夫の母親にも電話をかけた。

夫の母親は私のために来てくださった。

そして、夫も到着した。

私は気持ち悪くて仕方なかった。

 

このころの記憶はとてもあいまいだ。

私は気持ち悪いながらもCTを撮ってもらったりしたと思う。

おぼろげながら、車いすで強制的に行かされた気がする。

そして、夫と夫の母親と三人で治療というか手術というか、これからの処置について聞いた。

私の体は当時とんでもないことになっていたようだ。

先生は写真を見せながらいろいろ言っていた気がするが、内容は全く覚えていない。

でも、そのときは座っていられた気がする。

その後座ることもできなくなるのに。不思議なものだ。

 

そして、治療というか手術というか、始まった。

多分GWで先生も少なかっただろうに、かき集められたのかもしれない。

放射線科の医師たちだと聞いた。

放射線科の先生たちも執刀をしなければならないこともあるのだ、と初めて知った。

その時、私は肺に水がたまっていて、息が吸えなかった。

肺の半分くらいしか空気が入らない感じなのだ。

息が浅くて何度も何度も息をしなければならず、とても苦しかった。

そんな時に「管を体の中に入れるから、息を止めて、と言ったら息を止めて」という手術だった。

要は、私は腸がやぶれて(腸の穿孔が起こって)腸の中にあるべきものが体内に漏れているのでそれを吸って外の出さないと大腸菌やら何やらで汚染されて危険な状態になっていた。

ほおっておくと死んでしまうこともあるらしい、と聞いた。

その漏れた液体を外に出すために管を入れた。その時は二本だった。

放射線を浴びたまま、全身レントゲン写真を撮られている状態での手術だった。

医師たちは放射線ガードの服を着ていた。

鉛のようなものを身に着けているように見えた。

袖の部分はなくベストのような形状だったが、あの服はさぞかし重たいだろう。

着ているだけで体力がつきそうなものだった。

あんな重たいものを着たまま、繊細な処置をしなければならないのだ。

「肝臓のそばを通ってるから、肝臓に傷がつくと大出血になって本当にまずいから息を止めて!」と言われるけど、息がとにかく苦しくて息を長いこと止めていられないのだ。

「もっと息を止めて!がんばって!」と言われたけど、息を止めるのはできて5秒くらいだったような気がする。

執刀した医師たちも大変だったと思う。

あれは戦いだった、と今になって思う。それくらい壮絶なものだった。

局所麻酔で意識があるからこそ。

 

このとき、執刀医は二人ほどだったと思うが、研修医だかなんだかわからないが、とにかく手術室に10人ほどいた。

みんなに見られている感があった。

ちょっと珍しい症例だったのかもしれない(個人的観測)。

そんな中、ちょっとした「戦い」が行われていたのだ。

 

この続きは、またいつか。

思い出してると、若干苦しくなってくるな・・。

おやすみなさい。