映画が苦手
今夜はテレビで「千と千尋の神隠し」を放送していた。
夫は何度も見ていて、私は二度目だ。
私は映画が苦手だ。
やんわり始まって、ゆるゆると終わっていく。
結論もなく終わる感じが苦手だった。
その、結論のない終わりから、その後をそれぞれの視聴者が想像する。
答えはない。
が、私の想像は変わっているのか、否定されることが多かった。
それが怖くて映画が苦手になった。
ちなみに、国語の授業も苦手だった。
『筆者は何を考えて書いたか?』などという問題には「私は筆者じゃない。そんなん知らんがな」と書いてやりたかった。
書く答え、書く答えがことごとくバツをもらい、私は漢文くらいでしか点が取れなかった。
小学校のときの道徳の授業も嫌いで仕方なかった。
だいたい、答えがない、と言いつつ、答えはあるのだ。
大多数の人が「こうであってほしい」と望むのが「答え」だ。
私はそれに応えられない。
なぜかひねくれた考えしかできないようだ。
「千と千尋の神隠し」の映画も、何と言ったらいいのか、モヤモヤ感が残ってしんどい。
あの時間は何だったんだろう。
そんなモヤモヤに支配されてしまう。
やはりあのエンディングには、新天地で小さくてもいいから川が流れていてほしかったし、髪どめを握って、あの時間は夢ではなかったと振り返ってほしいのだ。
そういった話をしていたら、映画が苦手な私を夫が大否定し始めた。
しかも大きな声まで出して「そんな人は見たことない!おかしい!」と全否定された。
映画が苦手な人間がいたっていいではないか。
私は映画好きの人を否定するつもりは全くない。
私は水戸黄門や2時間ドラマが好きなだけなのだ。
悪者は捕まって、スッキリ終わってほしい。
そういったエンディングが単純で好きなだけだ。
映画や小説を読んで考えるなら、一人で考えたい。
人と共有したくない。
否定されるのがオチだからだ。
それが嫌なだけなのだ、私は。
でも、あのエンディングを見てじんわり泣けていた私は、夫に否定されてさらに泣いた。
久しぶりに大泣きできるか、スッキリできるかと思ったら、泣いている私にさらに「何でこんなことで泣くんだ!」と怒った。
いくら言っても私の気持ちなどわからないだろう。
だから、もう言わない。
わかってもらえると思わないし、わかってもらいたいとも思わない。
誰も私のことなどわかってくれない。
人は孤独だ。
やっと週末なのに辛い。
おやすみなさい。