みやびの想い(仮)

思ったことを素直に。

昼間は何をやっているのか

仕事の昼休み。

最近、大きなテーブルで食べることを控えている。

とにかく密になってはいけない、というのを言い訳にして、気の合わない同僚と昼食をとることを避けているのだ。

一人のランチは気ままで心地よい。

ずっと一人でいい、と思ってしまう。

 

そんな昼休みの間、トイレに行こうとしてトイレのドアの前までいったら、中にあかりがついている。

ということは誰かがいる。

誰にも会いたくなかった。

もう一つ別のトイレに行ってみたが、同じくあかりがついていて、人の気配がする。

ここにも人がいるのか…

どちらのトイレが先に開くか。

いや、中にいるのが一人とは限らないから一人出てきても中にまだ誰かいるかもしれない。

センサーライトは人が完全にいなくなっても、しばらく消えない。

 

そんなことを考えていて、ふと思った。

 

私はそんなに一人になりたいのか?

 

思えば独身の頃は、結婚したいと思い、誰かと一緒に住みたいと思っていた。

職場でも誰かと喋れると思うから気が楽なのかもしれない。

それなのにものすごく一人になりたがっている自分がいる。

原因は職場で同僚や新人さんらがだいたい業務を聞きにきて、その応対に疲れていることもあるが、大きくは家庭だろう。

昨年までは夫が出勤してから一時間ほど家で一人で気楽に過ごしていたが、今はそれが皆無だ。

夫は出勤しないのだから。

それどころか、今は送り迎えもしてもらっているので仕事と家庭の切れ目がほんのわずかしかない。

帰り道、というものがほしい。

ふと、自分のことを考える、ボーッとする時間がほとんどないのだと気付いた。

 

昼休みは職場の中だから、どうしても頭の中が仕事モードで休まっていない。

もっと休まる時間がほしい。

夜しかないのだ。

夕飯の後、そこしか。

 

そうすると、夫は今日は家の片付けを始めた。

22時半を過ぎてからだ。

なんで今頃やるのだ。

ずっと家にいるではないか。

特に仕事をしているようにも思えない。

今日は録画した番組とyoutubeを見たと言っていた。

見てもよい。

見てもよいのだが、片付けも少し昼にやっておけばよいではないか。

 

私は夫に夜、片付けられるのが嫌なのではない。

自分が片付けているからといって私に「きちんと片付けてよ」と言いに来るのが嫌なのだ。

私だって片付けたい。

それは思っているのだが、平日はもう体が動かないのだ。

疲れてしまって何もできない。

帰って夕飯の支度もあれば洗い物もある。

それなのになんでこんなに言われなければならないのだ。

 

だから自転車で通勤すると言っても「暑いから車で連れて行く」の一点張り。

確かに楽だけど、少し自分の時間がほしい。

 

こんなことをいうのはわがままなのだろうか。

あれこれ考えるのも疲れた。

少しでいいから、一人になりたい。

 

おやすみなさい。