みやびの想い(仮)

思ったことを素直に。

懐かしい人と偶然遭遇したら

今日もいつものスーパーに行く。

店に入る前に、今日は「予感」がしていた。

 

以前、この店である方に偶然に遭遇していた。

もう20年以上会っていない方だ。

その方とは、学生時代のアルバイト先で知り合った。

おそらく自分の親よりちょっと下くらいの年代だろうと思う。

半年に一度、一か月くらいのアルバイトだったのだが、3年間くらい続けたので意外と密な関係だった。

その方だけではなく、全部で5人ほど人生の先輩がいらっしゃった。

仕事も食事も一緒だったので、かなり仲良くなった気がする。

卒業してからも何回か一緒に食事に行ったりもした。

その中の幹事的な方とは年賀状など連絡をとっていたが、今日見かけた方とは何も連絡をとったりはしていなかった。

 

その5人のうちのおひとりと以前もその店ですれ違ったのだが、今日も「予感」どおりお見かけしてしまったのだ。

その方はフードコートにいた。

ご婦人とご歓談されていた。

遠くから眺めながら、話しかけようか、とても悩んだ。

 

「似ているけど別人かもしれない」

「お話しされている中、割り込んでしまったら失礼だ」

「ご本人だったとしても私のことなんて覚えてないだろう」

「覚えてくださっていたとしても、だからどうなんだ?どうしたいんだ?」

 

いろいろ考えた。

今、席を立ってこちらに歩いてこられたら声をかけよう!

そう思ったものの、一向に席を立つ気配はない。

それなら、先に買い物をしてこよう。

その後でもまだいらっしゃったら声をかけようか。

 

買い物をした。

いつもはグルグル店内を無駄に歩くのだが、今日はさっさとレジを通り、またフードコートに向かってみた。

まだその方はいらっしゃった。

楽しそうに向かいに座ったご婦人と話されていた。

私は不審者のようにずっと眺めていた。

結局、声をかけられないのに時間だけが経ってしまっているではないか。

これが一番もったいないのではないか。

 

やはり、そこに割って入ることはできなかった。

私はいろいろと言い訳をしながら、その店を立ち去った。

今回が二度目の遭遇なら、また偶然に三度目もあるだろう。

三度目の正直、次に会った時は声をかけよう。

 

次に会うことはないかもしれない。

今回の遭遇こそが、大事にしなければならなかった「偶然の機会」なのだろう。

それでも、わかっていても声をかけられなかった。

 

今でもどうするのが正解だったのか、考える。

やっぱり、声をかけるべきだったのだろう。

こんなことでもくよくよ悩んでしまう私だ。

今日も体のことで悩んでしまった。

内臓は痛いし、お腹が動いている感じもしない。

このままだと近いうちにどうにかなっていまうのではないか。

そんな不安ばかりがつきまとう。

もしも何かあったら、今日のことも、声をかけなかったことも後悔するのだろう。

今日を逃すともう二度とその方とはあえないかもしれないからだ。

 

せめて体調だけでも良くなってくれたら。

寝るくらいしかできない。

おやすみなさい。